以下に紹介するのは、1925年(大正14年)12月に「大杉栄全集刊行会」〔註〕が発行した『大杉栄全集』の別冊「伊藤野枝全集」に所収のエッセイ「階級的反感」の全文である。僕が伊藤野枝というアナキストに大きな信頼を寄せるのは、このエッセイで描かれる「矛盾」に、彼女が真正面から、真正直に対峙しているからにほかならない。仮にブレヒトの「異化効果」とは、「(伊藤が対峙したような)矛盾の提示が可能となるような効果」のことを意味しているのだとすると、彼女のこのエッセイは間違いなく、ブレヒトの「異化効果」という言葉の神髄を理解させてくれる良質のエッセイであると言えるだろう。なお、読みやすくなるように、難漢字にはルビを振り、旧字や旧仮名遣いは現代のものに改めたことをお断りしておく。付された註も僕によるもので、原本には一切ない。
註 「刊行会」の住所は「労働運動社」の住所と同様、東京市本郷区駒込片町15番地である。その正確な位置は、1932年(昭和7年)発行の『東京市本郷区地籍図』上で知ることができる。
階級的反感
此処(ここ)〔註〕に越して来てからは、今までとは周囲に対する勝手がまるで別になった。家を一歩踏み出すと、この近所では、私は嘗(か)つて知らなかった一種の圧迫を感ずる。家の中にいる時の安易な取りつくろわぬのとはまるで別の、一種の畏縮を感ずる。何か多勢(おおぜい)の眼が、私のすべての行為を看視でもしているような窮屈さを感ずるのである。
註 1917年(大正6年)12月29日から、翌年の7月に滝野川町田端(現在の東京都北区田端1丁目)に移るまで、伊藤野枝と大杉栄が暮らした亀戸の労働者町のこと〔『伊藤野枝の手紙』(土曜社)所収「伊藤野枝年譜」を参照〕。当時の住所は東京府南葛飾郡亀戸町2400番地(『禁止出版物目録』の第1編(明治21年-大正8年)に記載の情報による)。その正確な位置は、1911年(明治44年)発行の『東京府南葛飾郡龜戸町大嶋町全図』に示されている(現在の東京都江東区亀戸六丁目の20番台の辺りだろう)。
私の家の直(す)ぐ傍(そば)の空地(あきち)の井戸が、この近所二十軒近くの共用になっている。朝早くから夜おそくまで、そのポンプの音の絶え間が殆(ほと)んどないと云ってもいい位によく繁盛する。私も亦(また)そこに水を汲(く)みに行かなければならない。しかし私は、その井戸端に四五人の人がいれば、とてもそこにゆく勇気はない。四五人どころじゃない一人だって行きたくない程だ。私がそこに出て行こうものなら、そこに居合わせる人が皆(み)んなで私一人を注意する、まるで人種の違った者にでも向けるような眼で。
買物にゆく。そこでも私はいろいろな人たちから退(の)け者にされ、邪魔にされる。そうして品物を買ってからは、『私は馬鹿にされてるのじゃないかしら』と、時々不安になる。
今までは、人がどんなに注意しようが平気だった。どんなに妙な顔をしようが変な顔をしようが平気で威張って通って来た。それだのに、ここではどうしたと云うのだろう? みんな、無知で粗野な職工か、せいぜい事務員の細君連だ。本当なら私は小さくならないでも、大威張りでのさばっていられる訳なのだ。でも、私にはそれが出来ない。私はその細君連に第一に畏縮を感ずるのだ。圧迫を感ずるのだ。私はその理由を知っている。
私はあの細君連にどうかして、悪い感じを持たれたくないと思っている。悪い感じどころではない、どうかして懇意になりたく思っている。けれどそれには私のすべてが、あの細君連からあんまり離れすぎている。そしてそれがもう黙っていてもそれ等(ら)の細君連に決して気持のいいものでない事を、私は知りぬいている。それだから、一寸(ちょっと)井戸端を通りかかっても、水を汲(く)みに行っても、その注視に出遇うと、私は急いで逃げ帰って来る。家の中にはいると始めて楽々とした自分にかえる。もう越して来て一ヶ月になる。私はいまだに一人の人とも口がきけない。人のいないのを見すまして行っては、大急ぎで出掛けて水を汲(く)んでは逃げ込んで来る。
炊事の合(あい)の時間には、井戸端に七八つのたらい(「たらい」に傍点)が並ぶ。皆(み)んな高声(こうせい)で何か話しながらヂャブヂャブやっている。
『彼処(あそこ)にたらい(「たらい」に傍点)をもって行って仲間入りをしなきゃ駄目ですよ。彼処(あそこ)へ行って、お天気がいいとか悪いとか云ってりゃ、直(す)ぐ懇意になりますよ。此方(こっち)で遠慮してちゃ、何時(いつ)まで経ったって駄目ですよ。向(むこ)うの方が余計に遠慮をしているんだから。』
Mさん〔註〕が、玄関の横の窓の障子にはめこんだ硝子(がらす)ごしにそれを見ながら、教えてくれるのだった。でも、私にはとてもそこまでの勇気は出て来ない。私は庭にたらい(「たらい」に傍点)をおいては、毎日ひとりで洗濯した。
註 当時、伊藤と大杉の家に同居していた、村木源次郎のことだろう。
『ね、そこのお湯屋は、夕方から夜にかけては、モスリン〔註〕の女工で一杯ですとさ。私どんなだか行って見ようかしら。』
註 戦前の紡績会社「東洋モスリン株式会社」のこと。1911年(明治44年)発行の『東京府南葛飾郡龜戸町大嶋町全図』によると、伊藤と大杉の自宅住所(亀戸町2400番地 )の近くに「松井モスリン製造所」があるが、1918年(大正7年)5月に発売された雑誌『工業会』(第9巻第5号)の誌面で、「松井モスリン」が、1912年(明治45年)に「東洋モスリン」に買収された旨が記載されていることからも分かるように、伊藤と大杉の自宅近くにあったのは「東洋モスリン」の工場である。1931年(昭和6年)発行の『東京府南葛飾郡小松川町・龜戸町・大島町全圖番地界入』も参照のこと。
『ああ、行ってご覧。』
私はそんな事を或る日O〔註〕に話して、その晩好奇心から出かけて行って見た。
註 大杉栄のこと。
大変だった。脱衣場から、流し場から湯槽(ゆぶね)の中まで若い女で一杯だった。こんでいるお湯には我慢のならない私も、好奇心から着物を脱いで流し場に降りた。だが、桶(おけ)一つ見つからない。すると丁度(ちょうど)桶(おけ)に湯を運んで来た番頭が、目早く見ると頭を下げて、
『どうぞこちらへ。』
と云ってから、
『おいお前さん達少しどいてくれ、鏡はほら向(むこ)うにもかかってるよ。』
番頭はそこに一とかたまりになっている二三人の女工を追いのけて、湯桶(ゆおけ)をおいて私の場所を拵(こしら)えてくれた。有りがたかったけれど私は気がとがめた。私が手拭(てぬぐい)を桶(おけ)の中につけるかつけないかに、私の後(うし)ろでは二三人が猛烈に番頭の悪口を云い始めた。
『何んだい、人を馬鹿にしていやがる。鏡は向(むこ)うにもありますだなんて、鏡なんか誰が――あんなものを見ようって湯になんか来やしないや、人をわざわざ耻(はじ)かかしやがった。本当にあの野郎――』
『何んだい、たった一銭〔註〕のことじゃないかよ。こちとらだって、いつでも一銭位であの通りが出来るんだよ。だけど、たった一銭で威張って見たって仕方がないやね。』
註 伊藤が入湯料に追加して支払った湯桶代のことだろうか。
『全くだね、一銭二銭惜しい訳じゃないけど、あんな番頭の頭下げさしたって――えっ、ああ何んだい、あれや?』
『女優だよ。』
『女優なもんかね、御覧、子持〔註〕じゃないか。』
註 伊藤はこの文章を発表した1918年(大正7年)2月の5か月前、1917年(大正6年)9月に、長女の魔子を出産している。
『あら女優にだって子持はありますよ、何んとかって云う。』
『お前さんよくいろんな事を知ってるね。何んだっていいやね。えっ、そうともさ、済ましてる奴が一番キザだよ。ほらあの人みたいにね、一寸(ちょっと)くすぐってやりたいね。』
私は早々に逃げて帰った。自分の事を後(うし)ろで散々云われたからばかしじゃない、何方(どちら)を向いても十七八、二十二三と云う若い娘達が、聞いているだけでも顔から火が出そうな話を平気で、高声(こうせい)で饒舌(しゃべ)っているのがとても聞いてはいられないのだ。
二度目にはもう好奇心ではなく仕方なしに、其(そ)の時間だと云うのは承知していたが行った。矢張り一杯だった。本当に女工さん全盛だ。他の者はうっかり口もきけない。女工でないものは隅っこで黙っているより仕方がない。
『まあ本当においも見たいだわ、お湯の中にはいっても外に出ても、もまれていて。』
可愛らしい娘さんが連(つ)れの人に云った。その言葉が終るか終らないうちに、傍(そば)にいた女工がたちまちその娘さんを尻目にかけながら、
『たまに風呂にはいりに来た時くらい、いも同様は当り前のこった。こちとらなんかはねえ、朝起きるとから夜寝るまで――寝るんだって芋(いも)同様なんだ。』
他の連中とつっかかるように云った。娘さんは驚いて、連(つれ)の人の傍(そば)によって黙って見ていた。流しに上る。私はしゃぼん〔註〕を沢山使わないと気持がわるい。体も桶(おけ)の中もしゃぼんのあぶくで一杯になる。しまいには仕方がないから、睨(にら)まれる位は覚悟で桶(おけ)のあぶくをあけた。
註 石けんのこと。
『一寸々々(ちょっとちょっと)、しどい泡だよ。きたならしいね、どうだい、豪儀(ごうぎ)だねえ、一銭出せばお客さまお客さまだ、どんな事だって出来るよ。』
隣りにいた女工はいきなり立ち上って、私を睨(にら)みつけながら大きな声で怒鳴った。
『済みません。』
位は私も云う事は知っていたが、その時のその女工の表情はあんまり大げさで、憎らしすぎたので黙っていた。
この敵愾心(てきがいしん)の強いこの辺(あたり)の女達の前に、私は本当に謙遜(けんそん)でありたいと思っている。けれど、私は折々、何だか堪(たま)らない屈辱と、情けなさと腹立たしさを感ずる。本当に憎らしくもなり軽蔑もしたくなる。 ――一九一八・二――